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2025.09.16|CEOコラム

濫用される「特別」を憂える ~CEOコラム[もっと光を]vol.293

 広辞苑を引くと、「特別」は「普通一般と違うこと。特に区別されるもの。格別」とされています。言葉の印象としては、他とは違う希少性や限定性を顕すものとして、人の心を惹きつけるように思います。特別仕様、特別価格、特別番組…。いずれも日常の外にあるからこそ「特別」と呼ぶに相応しいのですが、最近、この「特別」が濫用され、普通と大差ない事例が目立ちます。その意味で、言葉の重みが空洞化しているように思えてなりません。

 

 その典型が「租税特別措置」です。もともとは租税政策上の臨時的な措置であり、必要に応じて時限的に手当てされるはずのものでした。ところが、法人に対する交際費課税のように延長が繰り返され、半世紀以上にわたって恒久的な制度として存続しているものがあります。もはや、「特別措置」とは名ばかりで、実態は「普通一般の税制」になってしまっているのです。いわば、臨時の仮設住宅に半世紀以上も住み続けているようなものですから、言葉の意味と現実の乖離は、もはや滑稽という他はありません。

 

 鉄道に話題を転じても同じです。かつて特急とは「特別な急行」、すなわち急行の上位に位置する特に区別された列車でした。ところが現在、JR各社では急行が全廃され、特急のみが存在するという矛盾が生じています。比較対象を失った特急は、もはや「特別な急行」ではなく、ただの速達列車にすぎません。敢えて言うならば、列車名に冠された「特別」は、利用者から追加の運賃を徴収するためだけの飾り文字と化しているのです。

 

 租税の世界にせよ鉄道の世界にせよ「特別」という言葉は本来の意味から外れ、名ばかりの存在になっています。制度が恒久化したのであれば措置法ではなく、法人税法本法で手当てするのが租税法律主義の本来の姿ですし、列車が速達であるのなら素直に「急行」と名乗ればいいのです。徒に「特別」を乱用すれば、言葉の信用そのものが失われてしまいます。そういえば、コロナの時に「特別定額給付金」と称して全国民に一律で10万円をばらまいた政権がありましたが、「全国民に一律」というのは普通一般であって何が「特別」だったのか、今でも理解不能です。

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