出張や旅行で利用するのは、もっぱら全日空(ANA)とそのコードシェア便です。伊丹-出雲便のようにANAが就航していない場合にのみ、やむを得ず日本航空(JAL)を使う程度です。なぜ、JALには乗らないのか。その理由は、2010年の経営破綻に伴う更生計画において既存株式がすべて無価値化され、筆者が所有していた株式も紙切れにされたという遺恨があるからです。当時、救世主ともてはやされた経営者が「経営責任の一部は株主にもある」と意味不明の発言をしたことを知って一株主として絶句しました。
そのような遺恨のあるJALが、最近再び不祥事を重ねていることはご承知の通りです。そして、同社の女性社長が「パイロットが属する運航本部は専門職の集団。経営陣でも入り込んで意見を言うのが難しい」と発言したことを知って再び絶句しました。客室乗務員出身という彼女の経歴からはパイロットに対する謙虚な自己認識だったのかもしれません。しかし、経営トップの責任は現場への遠慮ではなく、全体を統治する意思を明確に示すことにあります。トップ自ら「手が届かない領域」を容認する発言は、ガバナンスの放棄を宣言するに等しいと言わざるを得ません。
航空会社に限らず、どの企業においても「専門領域だから」「現場の慣習だから」といった言い訳でガバナンスが及ばない領域を放置することは許されません。経営とは、組織全体に責任を持ち、すべての部門が透明性と説明責任の下に動いていることを保証する行為にほかなりません。もし特定の部門が「聖域化」され、トップでさえ意見できない空気が存在するならば、もはや組織の体をなしてはいませんし、ましてやガバナンスなど存在しません。
尾翼に描かれた鶴丸が再び色褪せるJALですが、他社あるいは官公庁といえども他人事ではありません。閉鎖的な領域は往々にして不祥事や組織崩壊の温床となります。だからこそ経営トップは「例外なきガバナンス」を掲げ、現場の声を尊重しながらも最終責任を放棄しない姿勢を示すことが必要なのです。顧客から、そして社会からの信頼を得るためには、透明性と統治の原則を徹底し、全ての部門に「光」を当てる仕組みを築くことが求められるのです。