1.「AT1債」とは
「AT1債」の正式名称は偶発転換社債(Contingent Convertible Bonds:通称CoCo債)とも呼ばれ、2008年のリーマンショックに端を発した金融危機後に定められた金融機関の国際的な資本基準「バーゼル3」で、金融機関は「中核的自己資本(Tier1)」の比率を一定基準以上に保たなければならないようになりました。「AT1債」は資本金や利益剰余金を補完する形でTier1の資本に組み入れることができる新しいタイプの固定金利運用資産として登場しました。
主な発行主体は金融機関で、一般的には国債に比べ安全性は劣るものの、高い利回りが期待できるといういわゆる「ハイリスク・ハイリターン」の商品です。また、「AT1債」は株式と債券の両方の特性を持つ「ハイブリット債」でもあり、金融機関の財務状況が一定水準を下回った場合に、株式に転換することが可能となります。この点のメリットは金融機関が存続危機に直面した際に、金融機関の資本レベルを向上させ、負債を減らす役割を持つ一方で、「AT1債」は投資家に痛みを伴うような仕組みとなっています。
2.金融危機が与える「AT1債」の影響
「AT1債」の返済順位から考えると株式より返済順位が高いため、一般的には株主よりも権利は保護されますが、今回のUBSによるクレディ・スイス救済に際し、FINMA(スイス金融市場調査局)はクレディ・スイスの「AT1債」の無価値化を決定したことで、160億スイスフラン(約2兆2,800億円)相当の資産が事実上消滅することとなりました。一方、UBSがクレディ・スイスを救済することで、通常であれば返済順位が低く、何の補償も得られないはずの株主が、クレディ・スイス株1株につき0.7スイスフラン(約100円)でUBSに株式を売却出来る権利を得たことで、逆転現象が生じ「AT1債」を保有する債券投資家に大きな衝撃を与えると同時に、他の金融機関が発行する「AT1債」も同様のことが発生するのではないかという心理的不安を煽る形となり、債券市場で「AT1債」が売られ、価格が暴落する事態となっています。
3.日本国内における「AT1債」の動向
国内の経済アナリストや投資信託を運用する会社のファンドマネージャーなどは、クレディ・スイスの「AT1債」が無価値になったことに対し驚きは示しているものの、国内金融機関が発行する「AT1債」に与える影響は軽微であると反応しています。鈴木財務相兼金融担当相も3月28日参議院予算委員会で「日本の金融機関によるクレディ・スイスの「AT1債」の保有額は少なく、現時点での直接的な影響は限定的である」と答弁しています。また、一般投資家向けにもクレディ・スイスの「AT1債」は数多くは販売されておらず、市中で販売されている投資信託への組入額も少なく、与える影響は軽微であるとも述べております。ただ、一部の機関投資家及び富裕層においては、一定の損失が発生する見込みであるため、金融庁を通じ販売した証券会社から投資家向けへ丁寧な顧客対応も求めています。
日本の金融機関が発行する「AT1債」の金額は3大メガバンク(三菱UFJ・三井住友・みずほ)で約3.6兆円発行されています。仮に日本の3大メガバンクで信用不安が発生した場合に、クレディ・スイスと同様のことが発生する可能性は低いと考えられています。その理由として、クレディ・スイスが発行していた「AT1債」には約款上の特約として、「金融当局を含めた公的支援を受けた際に元本が削減される」が付帯されていたが、日本の金融機関が発行する「AT1債」にはそのような特約は付帯されていないという点があります。ただ、世界的に「AT1債」市場が混乱する中、先日も三菱UFJフィナンシャルグループが、4月下旬に予定していた「AT1債」の発行を5月中旬以降に延期するなどの影響が出始めています。
4.まとめ
今回のUBSによるクレディ・スイスの救済及びスイス金融当局による「AT1債」をめぐる対応については、約款の通りに対応したという反面、他の金融機関が発行する「AT1債」でも同様のことが発生するのではという「投資家不安」の顕在化にも繋がりました。2008年のリーマンショックでは信用力の低い人向けの住宅ローンや自動車ローン(サブプライムローン)を証券化し、様々な金融商品を組入れていたことで、機関投資家を含め大きな損失が発生したが、今回はそこまでの事象までには至らないであろうとの見方が大半です。ただ、欧米ではインフレが収まらない中で、金融面の信用不安が発生したことで、今後少なからず景気への影響はあると考えられているため、今後の動向にも注目が集まっています。
(文責:大津事務所 田中)
<参考>
財務省 広報誌「ファイナンス」12月号
AT1債およびバーゼルIII 適格Tier2債(B III T2債)入門
https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202212/202212e.pdf
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