先週2月26日、 1936年のその日に起きた「二・二六事件」から89年が経ちました。この事件は、陸軍の青年将校たちが「昭和維新」を掲げ、政治の腐敗を打破して新たな国家体制の樹立を目指したクーデター未遂事件でした。しかし、暴力に訴えた彼らの行動は支持されることなく、事件は数日で鎮圧されました。こうして昭和維新という言葉は、体制の変革を志向する急進的な政治運動の象徴となったのですが、現代においても「維新」の2文字を掲げる政党が存在します。
日本維新の会は、昭和維新と同様に政治改革を掲げていますが、もちろん暴力ではなく民主的な手続きを通じた制度改革を目指しています。特に、行政の透明性を高め、身を切る改革や政治倫理の徹底を強調してきました。しかし、その理念とは裏腹に、同党所属の兵庫県議が知事選挙の際に情報漏洩を行っていたことが発覚し、党の信頼性が揺らいでいます。政治改革を訴えながらも、一部の党員の行動が理念と食い違う点は、かつて昭和維新を掲げた青年将校たちが理想と現実の間で揺れ動いた状況と重なる部分があるように思います。
昭和維新を掲げた青年将校たちは、政治の腐敗を正すという明確な目的を持っていましたが、その手段として暴力を選択したことで国民の支持を得られませんでした。同様に、日本維新の会も政治改革を目的に掲げながらも、自らが不祥事の当事者になってみたり、来る参院選で与党を過半数割れに追い込むと主張する一方で、国会審議では与党にすり寄る姿勢を見せるようでは、その理念の正当性に疑問符がつくことになります。
「維新」という言葉は、日本の歴史において体制変革を象徴するものですが、その実現には手段と理念の整合性が不可欠であり、決して容易ではありません。日本維新の会も昭和維新の失敗に学ぶのであれば、掲げる理念と実際の行動を一致させることから始めなければなりません。高校授業料の無償化などという極めてミクロな政策に拘泥する一方で、勤労所得課税のあり方を考えるという優れてマクロな政策から逃避しているようでは「維新」という威勢の良い看板に偽りありと言わざるを得ません。