三菱UFJ銀行の貸金庫をめぐる窃盗事件は、驚くというよりも呆れて開いた口が塞がりません。利用者は銀行に全幅の信頼を置いて命の次に大切なものの保管を委ねているのですから、その信頼を根底から揺るがしたという意味では、もはやこの銀行は信用とか信頼といった看板を下ろした方が良いと思います。
犯罪に手を染めた者が糾弾されるのは当然とはいえ、その犯罪を誘発させる土壌を放置していた銀行もそれ以上に指弾されるべきでしょう。報道によると「予備鍵の保管状況は半年に1度点検することになっていたが、鍵の個数といった基本的な確認にとどまり、予備鍵が入った封筒に開閉された形跡がないかなどは確かめられていなかった」とのことですが、チェックが形骸化していたことを自白しているようなものです。あるいは、この銀行には業務上必要とされるダブルチェック体制は存在しなかったのでしょうか。
そもそもチェックは性善説で行っても効果がありません。「本当に大丈夫か、よもやの事はあるまいな」という職業的懐疑心を発揮して実施しなければ意味はないのです。私たち公認会計士は監査の現場で残高確認という手続きを必ず実施しますが、返送されてきた封筒の体裁はもちろん、消印にすら目を配ります。それは確認手続きに「不正に協力する第三者が介在して想定外の場所から投函されていないか」という懐疑心を発揮しているからです。
そのような懐疑心の欠片もなく、開封された痕跡の有無を確かめることもせずに単なる数あわせでチェックを済ませていたというのですから、もはやお笑いの世界です。信用は長年にわたって積み重ねられるという意味で「足し算」であり、信頼は将来を委ねるという点で「掛け算」に喩えることができます。掛け算である限り、掛ける数字が一つでもゼロになれば信頼は瞬時にして雲散霧消します。役員報酬の一部カットなどで事を納めようとする姿勢がゼロの掛け算になることが分からないようでは、やはりこの銀行は信用と信頼の看板を下ろした方が良さそうです。