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2024.09.30|CEOコラム

親ガチャを死語にしよう ~CEOコラム[もっと光を]vol.242

 今から45年前、当時の試験制度である「公認会計士第二次試験」に挑戦する若者がいました。大学在学中の合格は適わず、卒業と同時に友人達が社会人として新たな一歩を踏み出す中、敢えて受験浪人を選択したのは「賭け」だったのかもしれません。確かに、当時の受験者数は全国で約5,000人で合格者は250人前後という合格率5%の狭き門でしたから、それに挑戦したことは、やはり「賭け」だったと言えます。

 

 同じ目標に向かって切磋琢磨する仲間は少なくありませんでした。しかし、家庭の事情から志半ばで受験を諦めざるを得ない者もいました。あるいは、そもそも受験浪人という選択ができずに一般企業へ就職する仲間もいました。若者が約2年半の浪人生活を送る中で、周りの受験仲間の顔ぶれは変わりました。その結果、運良く合格通知を受け取った若者の心に「もし、受験を断念した仲間がコンペティターであったならば、合格通知を受け取ったのは彼らだったかもしれない」という漠たる不安が残ったのも頷けるところです。

 

 資格試験はもとより入学試験などもすべては競争試験であり、勝ち残った者が資格を得て、あるいは入学を許可されることは言うまでもありません。しかし、よく考えてみれば、競争試験を受験できた者だけで競い合って勝者を決めているのですから、諸般の事情で受験することができなかった者の中に人一倍優秀な者がいたとしたら、勝者の判定は翻っていたかもしれません。むしろ、人一倍優秀な人物との競争を避けられたが故の勝者も存在するはずです。つまり、勝者といえども、絶対的な勝者であるとは言えないのです。

 

 このような自明のことが今まであまり議論されてこなかったように思います。誰もが何の障壁もなくスタート台に立つことができ、そこで公平公正な競争が行われてこそ本来の競争試験たり得るのではないか。優秀な人材が親ガチャに外れて志半ばに棄権せざるを得なかったとしたら、それは長い目で見て社会にとっての損失ではないのか。そのようなことを考える中、一足早い代表選挙で選出された政党の代表は「親ガチャを死語にしよう」と訴えました。全く同感です。そして「親ガチャに当たった世襲議員が跋扈する政権与党を打倒しよう」とも訴えました。先週、一足遅れの代表選挙で選ばれた政権与党の代表が奇しくも同い年の「二世議員」であることから、今後の二人の論戦が楽しみです。

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