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2024.07.22|CEOコラム

祇園祭と「後の祭り」 ~CEOコラム[もっと光を]vol.232

 京都に暑い夏が訪れると「コンチキチン」のお囃子とともに祇園祭が始まります。先週は三連休中に「前祭り」の宵々山を迎え、17日の山鉾巡行で盛り上がりましたが、明後日24日には「後祭り」の山や鉾が都大路を練り歩きます。京都の街中に住んで仕事をしている者にとっては、この間の交通規制やそれに伴う交通渋滞には閉口する他はありませんが、季節の風物詩として生暖かく見守っているというのが正直なところです。

 

 この祇園祭について、八坂神社のホームページには「祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11(869)年に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります」と解説されています。

 

 貞観11(869)年といえば、5月26日(現在の7月13日)に三陸沖を震源とする推定マグニチュード8.3の大地震が発生し、陸奥国府(現在の宮城県多賀城市)が津波に襲われて数千人が溺死したと記録に残されています。また、京の都では「咳病」が大流行し、多くの死者を出したことは八坂神社の解説にあるとおりです。「咳病」とは、おそらくインフルエンザのことだと思われますが、ウイルスの存在など誰も知らない時代ですから、大地震も咳病も怨霊の仕業だと考えられたのもやむを得ません。この怨霊の祟りを鎮めるために営まれたのが祭りの起源というわけです。

 

 ウイルスや地震に対する科学的知見を得た私たち現代人にとって、もはや厄災退散の祈願など何の意味もなく、祭りそのものが観光イベント化しているというのが個人的な感想ですが、それを声高に口に出してしまうと顰蹙を買ったりお叱りを受けたりなどして「後の祭り」になりかねません。この「取り返しがつかない」という意味での「後の祭り」も実は祇園祭の「後祭り」に由来することをご存じでしたか。

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