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スタッフコラム

2019.04.01|CEOコラム

税理士や会計士に求められる経営の視点-自動車メーカーの歴史に学ぶ~週刊ひかり vol.4


 わが国の自動車メーカーを大別すると、技術者が興した会社と国策会社に分けることができると思います。

 前者の代表例としては、ダイハツやスズキ、マツダ、ホンダといったところでしょうか。ダイハツは大阪高等工業学校(現在の阪大工学部)の研究者が中心となって立ち上げた「発動機製造株式会社」をルーツとし、スズキも織機製造メーカーを立ち上げた鈴木道雄が創設した会社で、戦後にバイク製作を経て自動車製造に進出しました。また、マツダの松田重次郎は海軍の造船技術者を経て3輪トラックの製造に乗り出し、ホンダの本田宗一郎も修理工の出身とはいえ、優れたバイクや自動車を作って世に送り出すことを目標に設計現場に技術者の視点で乗り込んで陣頭指揮を執ったことは有名です。

 これに対して後者の代表例が、いすゞと日産です。いすゞの起源は「石川島造船(のちに石川島播磨を経て現在はIHI)」で、製造したトラックが陸軍に採用されて事業が隆盛したことから自動車部門が独立して「石川島自動車製作所」となります。その後、商工省(現在の経産省)の意向のもと、複数のトラックメーカーと事業統合し(その際に日野製造所を分離し、これが現在の「日野自動車」の出発点となる)、「いすゞ自動車株式会社」と改称するのです。一方、日産のルーツは、エンジニアの橋本増治郎が設立した「快進社自働車工場」で、その後、同社は「実用自動車製造」と合併して「ダット自動車製造」と名が変り、さらに鮎川義介の所有する戸畑鋳物(現在の日立金属)の傘下に編入されます。このあたりの経緯は日経ビジネスの最新号(2019.04.01号)に詳しいのでそちらに譲りますが、鮎川義介という経営者は自動車そのものにそれほど熱い想いを持っていたわけではなく、一大コンツェルンを作り上げることに腐心し、それを「日本産業株式会社」と名付けました。グループ傘下の自動車製造会社が「日産自動車」と名乗るのも当然の流れと言えます。その後、日本産業グループは国家規模のバックアップを得て満州に進出することになる…と、ここからは長くなるので省略しますが、いずれにしても日産は国策会社そのものといってもよい歴史を持っています。

 さて、技術者が興した会社と国策会社、どちらが魅力あるクルマ作りをしているかは言うまでもありません(いすゞは既に乗用車からは撤退)。あるいは、どちらが安定した経営をしているか、これも答えは明らかなようです。つまり、国策などさして当てにはならない。それよりも自助努力こそが事業の礎と発展につながることを歴史が物語っているといってもよいでしょう。私たち税理士や会計士が中堅・中小企業の経営指導をしていく上で忘れてはならない視点の一つです。
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