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スタッフコラム

2019.09.02|CEOコラム

職業的懐疑心について-信心が足らない会計士の独り言~週刊ひかり vol.22


 先週号では聖書(バイブル)のことについて少し触れましたが、私たち公認会計士が監査業務を行う上でのバイブルは言うまでもなく監査基準です。すべての監査は一般に公正妥当と認められる監査の基準に準拠して適切に実施されなければならないとされ、その中でも特に「職業的専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行わなければならない」ことが強調されています。要は、安易に人を信じるな、まずは疑えというわけです。

 例えば、日本公認会計士協会が会員向けに提供している「監査提言集」には次のようなくだりがあります。「一般的には通例でない取引であっても、業界慣行という理由で通例の取引と理解してしまう場合がある。監査人は、業界慣行という説明のみで納得することなく、通例と理解している取引の中に通例でない取引が隠されていないか職業的懐疑心をもって取引の実態を見る必要がある」つまり、監査に当たっては、人の話を鵜呑みにするのではなく、その真偽の程について必ず裏を取れと指示しているわけです。

 そんな環境下で40年近くも監査の仕事をしていますと、どうも性格が疑い深くなっていけません。常に「ホンマかいな」、「その話はちょっと眉唾やな」と思ってしまうのですから、これはもう職業病と言っていいのかもしれません。それはともかく、話を本来の聖書に戻しますと、聖書も突っ込みどころはいくつもあります。イエスが母マリアの処女懐胎で生まれたのであれば、父ヨセフとの間にDNAの繋がりはないはずですから、ヨセフがユダヤの英雄ダビデ王の子孫であってもあまり意味はないのではないかとか、時の支配者がイエスと同じ年頃の男児を虐殺したという話がありますが、その支配者は紀元前4年頃に死んでいるので、そうするとイエスの生年は紀元前5年頃になって今年は2024年なのではないか、等々。

 このように職業的懐疑心から聖書の揚げ足をとっていてはキリがないのですが、聖書に関しては監査と違って今さら裏を取ることはできませんから、ここは「信じるものは救われる」ということにしておきましょう。で、今週は信心が足らない公認会計士の独り言でした。
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