Menu

Column

スタッフコラム

2019.09.30|CEOコラム

イスラエル紀行(2)-ユダの荒地を訪れて~週刊ひかり vol.26


 結婚式はキリスト教式で賛美歌を歌って神に誓い、葬式は仏教式で読経と線香の煙に包まれて見送られる。そんな風景が何の違和感もなく受け入れられる日本の宗教風土は、良く言えば寛容であり、悪く言えば無節操ということになります。あるいは、「苦しいときの神仏頼み」で必要なときにだけ祈り、念仏を唱えるというのも、ご都合主義と言われれば、その通りでしょう。

 これは考えてみますと、私たちの日常生活においては、あえて神や仏を意識しなくても、平穏に過ごせるという幸いな環境にいることの証左ではないでしょうか。祈らなくても明日の糧を心配する必要はなく、貨幣経済社会では先立つものさえあれば、不自由を感じることはまずありません。そのような環境下では、神や仏を信じて祈るという動機がややもすれば薄れがちになるのはやむを得ないようにも思います。
しかし、イスラエルを訪れてユダの荒地を目の当たりにしたとき、神に祈ること、ひいては宗教が存在することの意味が少し分かったような気がしました。そこは日本では決して見ることのない文字通り荒涼とした荒野であり、緑のない乾燥した褐色の景色が果てしなく広がる世界です。賛美歌の中に「荒野の果てに」というのがありますが、あの曲と歌詞からはとても想像できない壮絶な光景と言っても過言ではありません。そのような過酷な環境下で乏しい水と食料で糊口を凌がざるを得なかった人々が、神の存在を信じて祈り、神にすがったのは、当然の成り行きだったのではないかと思うわけです。過酷な自然に翻弄される人々にとって唯一頼れる存在が神であり、神への祈りを通してのみ明日への希望を見い出せたのではないか。それは生きる術としての信仰ではなかったかと思わせるのに十分な光景でした。

そのように考えると、宗教にはそれが成立する上でのバックグラウンドがあることに思いを馳せざるを得ません。一神教であれ多神教であれ、どのような宗教であっても、それぞれの歴史の中で起源が語られているとすれば、そこにある背景は当時の人々が置かれていた自然環境と決して無縁ではなかったはずです。その考えが正しいのかどうか、宗教に関する知識をさして持ち合わせない者が軽々に言うべきことではないのかもしれませんが、「百聞は一見にしかず」を身をもって体験した偽らざる心境です。
メールマガジン
登録
お見積り
ご相談