総トン数20トン未満または全長24m未満の船舶を操縦するためには2級小型船舶操縦士免許が必要です。また1級免許であれば、法令上はこの船舶を沿岸から制限のない海域で自由に航行させることができます。もっとも法令上の「できる」ということと能力的に「できる」ということは全く別で、海に対して正しく恐れる姿勢を持たなければ実現不可能であることは筆者の経験からも明らかです。
その姿勢の一つに船長心得というものがあって、これは免許取得の際の学科試験にも必ず出題されます。例えば、「最高責任者としての自覚」として「知識と技術に裏付けられた的確な判断によるリーダーシップを発揮すること」や「あらゆる状況下で、常に船と同乗者の安全を守ることを第一に考えること」が求められています。さらに、「名船長と呼ばれるために」という件では、「海を恐れず侮らず、謙虚な気持ちで無理をしない」、「計画の中止や引返す勇気を持つこと」が明記されています。
さて、ご承知の通り、北海道知床半島沖で発生した観光船遭難事故は誠に痛ましい事故であり、船舶免許を持つ者の一人として残念でなりません。波高が3メートルを超える海域で浸水やエンジントラブルで船が制御不能になれば、転覆のリスクはほぼ100%といっても過言ではありません。ライフジャケットを着用していても水温が2~3度の海に落水すれば10数分で意識を失いますから、救命具としてはもはや機能しません。つまり、荒天の冷水域を航行する小型船舶が浸水・転覆すれば、もはや助かることはないのです。
もしものことがあれば最悪の事態に至ることは船舶免許を持つ者なら誰でも承知していますから、観光船がなぜ出航を強行したのか理解に苦しむところです。仮に数十万円の売上を確保するためであったとすれば、その代償はあまりにも大きすぎます。「謙虚な気持ちで無理をしない」、「計画を中止する勇気を持つこと」といった船長心得を遵守していれば、かけがえのない尊い命が失われることはなかったでしょう。目先の利益を追うことに猛省を促す事故であるとともに、われわれも類似の行為に及んでいないかどうかを再確認する機会でもあると思います。