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2022.03.14|CEOコラム

パソコンがなかった時代 ~CEOコラム[もっと光を]vol.110

 みなさんがパソコンで文書を作成する際に使われているアプリケーションソフトは、ほぼ例外なくMicrosoft社の「Word」だと思います。弊社でも、スタッフの全員が「Word」を使っています。しかし、小職のパソコン上で動作している日本語ワープロソフトは、「Word」ではなくJustsystem社が開発した「一太郎」です。「一太郎」に先立って1985年に発売された「jX-WORD太郎」の時代からのユーザーである小職は、このブログも毎週「一太郎」でサクサクと執筆しています。

 

 そもそも英語文化圏で開発されたMicrosoft社の「Word」には、当初は縦書きの機能すらありませんでした。青い目の連中に「縦書き」という文字の文化はありませんから、当然と言えば当然です。また、「IME(Input Method Editor)」と称する漢字変換ソフトも使い物にはなりませんでした。この出来損ないの「Word」に比べて数段優れた日本語ワープロソフトが「一太郎」であり、「ATOK(Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer)」という漢字変換ソフトなのですが、Microsoft社の巧妙な営業戦略と「Word」のそれなりの改良によって市場は「Word」に席巻され、今や「一太郎」の存在を知る人も少なくなってしまいました。

 

 さて、日経新聞の今月の「私の履歴書」には、この「一太郎」の開発者である浮川和宣氏が登場しています。まだ連載の半ばを過ぎたところですが、氏は「79年には東芝が日本で初めてのワープロ「JW-10」を発売したが、価格と大きさはオフコン並み。とてもではないが、一般のユーザーの手に届くものではなかった。私は誰もが簡単にパソコンで文章が作れるような日本語ワープロを作りたいと考えるようになった。そうすれば日本人の知的生産性を飛躍的に高められるはずだ。」と述べておられます。

 

 氏が言う1979年には日本電気(NEC)からパーソナルコンピュータの元祖である「PC-8001」が発売されましたが、性能も用途も今のパソコンとは比べるべくもない「おもちゃ」でした。もちろん、メールやチャットなどあろうはずもありませんが、それでも彼女とのデートの待ち合わせは時間も場所もお互いに間違えることはありませんでした。つまり、今では当たり前になったとはいえ、パソコンがなくても日常生活も仕事もできていたのです。 そんな時代を振り返ると、パソコンに触らない日があっても良いとは思うのですが、この原稿もパソコンのディスプレイに向かって「一太郎」で書いているのですから、脱パソコンも「言うは易く行うは難し」です。

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