5,127億円、対前年度比1.4倍。これは、総務省が公表した2018年度のふるさと納税の額ですが、このうち497億円を一つの自治体が受け入れたとして話題になりました。金額の突出ぶりを問題視した総務省は、その自治体を制度の対象から除外したのですが、その措置に納得できない自治体との間で法廷闘争に発展しました。そもそも「ふるさと納税」とは誤解を生む表現であり、実質は任意の自治体に対する寄附金に過ぎません。制度の趣旨としては、幼少期を過ごした自治体は教育コスト等を負担する一方、成人になれば進学や就職で都市部の自治体に納税されるという、いわば自治体間の不公平を解消するための仕組みを創設するとのことでしたが、制度設計上は「自治体に対する寄附金」とされたのです。
納税であればともかく、あくまでも寄附金ですから、寄附者に対して謝意を表する返礼品を贈呈することは不思議ではありません。その結果、自治体における返礼品の多寡が寄附金のインセンティブになることは当然に予想されたことです。話題になった自治体がアマゾンのギフト券などの返礼品を多数用意し、多くの寄附金を受け入れたのは、スキームとしては間違っていませんでした。もっとも、魅力ある返礼品で多くの寄附を募ることにはコストもかかります。これも総務省のデータによると、寄附受入額に対する経費の割合は全国平均で55%に達するとされていますから、自治体は自らのリスクも負担しながら、知恵を絞り、工夫を重ねているのが実情なのです。
それにもかかわらず、総務省は法令の根拠が曖昧なまま、過去の返礼品の内容と寄附受入額の大きさにだけ着目して制度の対象から除外したのです。つまり、折角の自治体の努力に水を差すことが法令に基づくものであったかどうかが争点になりましたが、最高裁判所は破綻のない理論構成で総務省の主張を退けました。しかし、「結論に居心地の悪さを覚える」との補足意見が示すように、話題の自治体の姿勢にも苦言が呈されました。
要は、「ふるさと納税」といいながら、制度設計としては任意の自治体への寄附に過ぎず、税収の総額を増加させるものでもなく、返礼品が介在する自治体間の税収移転という、いわばゼロサムゲームの制度であることを再認識するべきでしょう。そのゲームに勝つために、知恵と工夫を重ねる自治体にエールを送りたいと思いますが、それが気に入らないのであれば、総務省は国税と地方税の体系にこそ抜本的な手を加えるべきだと考えます。