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2020.06.15|CEOコラム

古地図の楽しみ-未来を見渡す鍵~CEOコラム[もっと光を]vol.19

 昨日の日経日曜版に「時間を超える古地図の魅力」と題する記事が掲載されていました。記事は「100年、200年、さらにもっと昔、この街はどんな姿をしていたのか。今につながるものはあるのか。未来を見渡す鍵がありはしないか。こんなことを考えさせてくれる古地図…」との書き出しで始まります。筆者も地図を読む(見る?)のが好きで、その延長線で鉄道旅をしたり、クルマで長距離を移動したりする機会が多くなっています。いわば、地図を自らトレースすることで様々な土地柄に触れることを楽しんでいるというわけです。

 この地図好きが高じると、記事にあるように「ここは昔はどんな場所だったのだろうか」、「昔ここには何があったのだろうか」ということに関心が拡がっていきます。そうなると、自ずと興味は古地図に向かうことになります。記事は江戸の面影を追いつつ、東大の赤門が加賀藩上屋敷の門だったことなどを語っています。筆者は東京事務所のある神田橋に向かう折、東京駅八重洲口からタクシーを外堀通りに沿って走らせますが、古い地図には、ここが文字通り江戸城外濠であったことが記載されています。

 しかし、それらの変化は明治から昭和にいたるごく最近の話ですから、古い話をするのであれば、京都を抜きにしては語れません。京都事務所は御所の南に位置し、東洞院通(ひがしのとういんどおり)に面しています。今では、地下鉄が通る烏丸通り(からすまどおり)の方が大通りですが、平安京の地図を重ねると「東洞院大路」と「烏丸小路」とあり、形勢は逆転していたのです。また、自宅のある場所は、かつて藤原頼道の邸宅である高陽院(かやのいん)があったところで、広大な敷地の中には寝殿造の建物や池泉のある庭園が築かれ、藤原摂関家の栄華の象徴であったとも伝えられています。

 このように京都の歴史は深く、100年や200年どころか1,000年の昔に思いを馳せることができます。ウイルス禍で観光客が激減した京都ですが、往来する人が少なくなった今こそ、古地図を携えて平安時代の京都に思いを巡らせながら周遊する又とない機会かもしれません。ただし、単に懐古趣味に浸るのではなく、故きを温ねる中から新しい時代についても考える必要があることは、前出の記事が言う通りです-未来を見渡す鍵がありはしないか-。
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